「仙台空襲」と「予告」にまつわる証言が伝えるもの

石澤友隆さん:
「(戦争が始まると)日本では横文字は一切使うなと言い始めた。例えば野球でもアウトやストライクは使うなと。でも、アメリカは逆に日本語を一生懸命勉強し始めた。日本を負かせた後で日本語が必要になるとの考えからだった。その辺がもう違っていた」

石澤友隆さん

仙台での空襲予告については、各地に残る「流言」の一種に過ぎないのではないか、そんな指摘もあります。

しかし、空襲を経験した市民の貴重な証言を無視することはできません。何らかの予告があったことは間違いないのではないでしょうか。憲兵が目を光らせる中、予告を知ったとしても口外できない人が多かったでしょうし、撒かれたビラもその後の空襲で焼けてしまったと考えることもできます。

現在の仙台市の中心部

ひとたび戦争が始まれば、罪のない市民が犠牲を強いられ、時に命に関わる重要な情報さえ届かなくなる。「仙台空襲」と「予告」にまつわる数々の証言は、戦争の悲惨さや愚かさを私たちに伝えています。

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