1945年7月10日未明の仙台空襲。仙台市内の3割近い土地が焼失し市民1399人が犠牲となりました。この仙台空襲について、アメリア軍がビラやラジオで事前に予告していたとの証言がいくつも残っています。過去の証言や資料から空襲予告の謎に迫ります。
「仙台良い町、森の町、七月十日は灰の町」空襲予告のビラとは
仙台市太白区に仙台空襲について長く調べている男性がいます。郷土史家の石澤友隆さん(89)です。

新聞社を定年退職した後、戦時中の公文書や証言を集めながら仙台空襲の実態を調べてきました。2008年には、著書「七月十日は灰の町」(河北新報出版センター)を出版。タイトルを「あるビラ」の文言から取りました。

石澤友隆さん:
「空襲予告のビラです。アメリカ軍は仙台を近く空襲しますと警告のビラやラジオで放送していた」
仙台にまかれたという「空襲予告のビラ」実際に見た人の証言では、こう記されていたと言います。
石澤友隆さん:
「ビラには『仙台良い町、森の町、七月十日は灰の町』と書かれていたと。つまり、仙台はとても良い町だけれど七月十日には灰の町、焼かれてしまいますということ」
「七月十日は灰の町」実際、1945年7月10日に仙台の街は空襲によって灰と化しました。予告は本当にあったのでしょうか。