「防空法」で避難を禁じていた

当時、国は「防空法」という法律で市民に消火を義務付け、罰則を設けて避難を禁じていました。仙台空襲があった1945年7月10日には、日本の敗戦は濃厚となり本土決戦が近づいていると叫ばれていました。仮に軍部が空襲情報を得たとしても、市民の戦意を失わせないため情報を伏せていた可能性は高いと考えられます。

一方、今のように交通機関が発達しておらず地下施設もなかった時代、市民に避難指示が出されたとしても、どうすることもできずに恐怖や混乱だけが広がっていたかもしれません。

アメリカ軍の予告ビラは、まさに市民に恐怖を与える心理作戦の側面が強かったと見られます。

他都市で撒かれたとされるビラ

また、「七月十日は灰の町」と書かれたというビラからもわかるようにアメリカ軍は日本を徹底的に研究していたと石澤さんは話します。