コモアブリッジが通勤を支える

問題は、山の上の造成地と駅の間です。毎日の通勤が登山やハイキングのようでは困ってしまいます。それを解決したのが、巨大エスカレーターと斜行エレベーターの「コモアブリッジ」でした。

長大なエスカレーターは4本。つまり3箇所の踊り場がある。

駅から住宅地までを繋げるコモアブリッジという名の通路。「エスカレーターで4分」「斜行エレベーターで6分」かかりますが、もちろん無料ですし表面はガラス張りで開放感がありました。

開発に着手したのが1987年、売り出しが91年でした。
当時の広告コピーが「森へ帰る」。5000万円台を中心とする分譲地でしたが、余裕のある広さと、なんとか都心に通える距離が話題となり、一戸建て1600戸のニュータウンがすぐに完売になったと言います。ここを選んだ人たちにとっては、たしかに「毎日森で過ごし、毎日都心に出かける生活」がスタートしたのです。

エレベーターからは「昼は森が、夜は星空が」見わたせる。

シムシティが直面した「バブル崩壊」

コモアしおつのエリア内には、大規模なスーパー、商業施設、銀行、学校、美容院などが続々作られました。もとより自然豊かな環境の中ではありますが、域内には公園なども豊富に作られ、その姿は「まるで(コンピュータ・シミュレーションの)シムシティのよう」と言われたものです。そのシムシティの住民たちは、週末や休日に、静かな「森の生活」を満喫することができたのです。

コモアしおつは全域にわたって瀟洒な住宅地が広がる。

しかし、売り出し後すぐにバブルは崩壊しました。首都圏の住宅価格は暴落。コモアしおつもその例外ではありませんでした。特にコモアしおつは都心から遠いこともあって、当初バブル崩壊の影響を強烈に受けるだろうと危惧されました。もしかしたら廃墟化するのでは…とまで囁かれたのです。