多くの命救った 3000回の講演
皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。
そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。

小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死...多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。
「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」...9月10日の「自殺予防週間」に合わせて、今を生きる人たちの励みになればと、竹内さんの言葉・人生を17回シリーズで配信します。
(※昨年夏に配信した記事を再掲しています)
【第1話】「自殺するな 逃げてもいいから 死なずに待て」
【第2話】「これまで3回死にたいと...でも生きててよかった」
【第3話】「いじめで死ぬくらいなら...大騒ぎして周りに訴えろ」
【第4話】「こんな子が生まれたことが不幸...踏切へ何度も行った」
壮絶ないじめを克服 パラリンピックで獲得した金メダル
小学生時代に「目が見えない」というだけで、石を投げられ、給食にゴミを入れられるなど激しいいじめに遭いながらも、持ち前の負けん気の強さで克服した竹内さん。そんな竹内さんをどんな時でも支えてくれていたのは、両親でした。
障害のある子どもを、家の中に閉じ込めるようなこともあった時代。それでも両親は、竹内さんを「優秀な兄」と同じように育ててくれたといいます【画像②】。

そんな両親を「安心させたい」と思っていた竹内さん。そのチャンスは高校2年生の時に訪れました。
竹内さんは1964年、東京オリンピックの年に、パラリンピック「盲人卓球競技」で日本代表に選出され出場。そして大会で金メダルを獲得したのです【画像③】。
