各国がさまざまなプランを出した結果、神殿を800あまりのパーツに切り分け、それを65メートル上の水没しない場所で組み立て直す・・・というスウェーデンの移築案が採用されました。そして5年がかりの工事によって、アブ・シンベル神殿は現在の場所に移動したのです。

外側のラメセス2世の坐像は4体あって、正面左から2番目の像は崩れ落ちています。これは移築前から崩落していたもので、地面に落ちた部分は移築前と全く同じ位置に再配置されています。

突然、巨大なドーム状の空間が
また神殿の奥には古代エジプトの神々と共に並んでいるラメセス2世の像があるのですが、10月と2月の年に二回だけ朝日がこの像を照らすように設計されていて、これも同様に光が射すように計算して移築されました。

番組ではアブ・シンベル神殿の通常非公開の部分も撮影させてもらったのですが、正面のラメセス2世の坐像の横に作業用みたいな入り口があり、そこから内部に入って通路を行くと、突然、巨大なドーム状の空間が現れます。

神殿は空から見ると岩山みたいなのですが、実は内部は空洞。遺跡として必要な部分だけを切り出し、コンクリート製の巨大ドームの外側に組み上げた、壮大な張りぼてのような構造だったのです。60年前に移築工事を行った人々の苦労がしのばれます。

この国際的な遺跡救済プロジェクトをきっかけに、未来に残すべき自然と文化を「世界遺産」として登録しようという気運が高まり、1972年の世界遺産条約の採択へとつながっていきました。
プロジェクトの舞台となったナイル川上流域はヌビア地方といい、アブ・シンベル以外にも水没を免れるために移築された遺跡がいくつかあって、神殿と共に1979年に「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」という世界遺産になっています。

フィラエは「ナイルの真珠」と呼ばれた島の名前で、女神イシスを祭った神殿が建っていました。移築前の映像を見ると、2000年以上前に作られた貴重な神殿が水浸し・・・そのためイシス神殿は近くの他の島にまるごと移されたのです(移築後、島の名前もフィラエ島に改名)。かつてあった島は、ダムの建設によって今では島ごと水没してしまっています。

アブ・シンベルやイシス神殿のように移築して救われたヌビア遺跡はごく一部で、大多数の遺跡は水没してしまいました。一方、ダム建設にはナイル川の氾濫を防ぎ、水資源を管理することで農業の発展を図るという大義がありました。「農業をとるか、遺跡をとるか」、こうした開発と世界遺産の保護は常にせめぎ合ってきました。最近の例では、オーストリアのウィーン歴史地区で高層ビルの建築計画が持ち上がり、古都の景観が変わってしまうという理由で、危機に瀕している世界遺産「危機遺産」に指定されています。
開発か保護か・・・これは、世界遺産始まりの地ともいうべきアブ・シンベル神殿の移築の時から続く課題なのです。