どんな思いでお腹が膨らむ日々を過ごしたのか、なぜ誰にも相談せず、赤ちゃんが生まれた瞬間の状況がどんなだったのか、そして今、どんな気持ちでいるのか…。
結論から言えば、事件について、私は何一つ聞き出せませんでした。
「話したくない」と口を閉じ、反省の言葉も、言い訳も、誰かを責めることもなく、「裁判で言う」とだけ答えると、その他には一つも言葉を発しませんでした。
ただ一度だけ、強い思いを受け止めたことがあります。通訳の女性バンさんが帰国することになり、”やりとりできる最後のチャンス”という日でした。面会時間はあっという間に過ぎて、私は、刑務官に連れられて部屋を出ようとする彼女に、「せめて1つだけ答えて。こんな事件にならないために、日本は、あなたに何をすれば良かったのかな?」彼女は、これまでになく、きつい感じで投げ捨てるように何か言って部屋を出ていきました。
なんと言ったのか…。彼女が部屋を出たあと、通訳のバンさんは、少し申し訳なさそうに、こう訳してくれました。「やって欲しかったことはいっぱいあるって」…。

17回に渡る面会の中で、彼女は、「家族に会いたい」「早くベトナムに帰りたい」と何度も言いました。裁判を前に、「心配だ」「どうなるかわからない」とも言っていました。かと思うと、一度だけ「雇ってくれるならこのまま日本で働きたい」と言ったこともありました。
事件を担当する弁護士は「家族に会いたい気持ちよりも、借金を返さないといけないという気持ちに支配されてしまうような時があるのではないか」といいます。
彼女が早期の帰国を望もうが、雇用の継続を望もうが、実刑が確定すれば彼女は「刑務所」に送られる。執行猶予が付けば強制帰国は免れるものの、ビザの延長は認められにくいとみられ、「懲役1年以上」なら再入国も不可能となります。彼女が今後のことを決める権利は、もちろん、今の彼女にはありません。