拘置所の小部屋に通されてきたのは、サラサラのロングヘアーに幼い目つきをした”女の子”でした。一瞬笑顔になって私たちを見たものの、私が事件のことを聞こうとしていると知ると表情が固まり、ほとんど話さなくなりました。
「職場の人は優しかった」とか、「周りに相談はしにくかった」とか、「仕事は休まず行っていた」とか、当時すでに報じられていたことが確認できただけで、何一つ能動的に話してはもらえませんでした。
私が「妊娠したら帰国させられると思っていたって、本当?」と聞いた時、彼女は「なんで知ってるの?」と言って泣き出しました。
面会が許された30分間はあっという間に過ぎ、聞きたかった多くの質問は積み残されたまま。「また来てもいい?」と尋ねましたが、彼女は首を横に振りました。
そこから私はベトナム語のマンガを差し入れたり、恐る恐る一人で会いに行ったり…。少しでも話しやすいのではないかと、彼女に近い年齢のベトナム人女性の通訳・バンさんを見つけ、ともに面会に向かったのは、事件から1年がたとうとするころでした。

あらためて事件について聞くと、彼女は「思い出したくない。思い出したら夢に見る」と言ったきり、口をつぐみました。「事件からまもなく1年だが、今はどんな気持ちか?」と言葉を投げかけると、彼女は無言のままハラハラと涙を流しました。
その2週間ほど後、再度、面会に訪れた私たちは、彼女から門前払いされてしまいます。拘置所では、面会は1日1組のみに限られ、中の人が「会いたくない」と言えば、会うことができません。
これでは何を知ることもできない…そう思った私は、まずはお互いをわかり合おうと、事件には触れずに面会を重ねることにしました。