「戦争神経症」の兵士も…軍は存在を否定
第一次世界大戦が戦争の形を変えた。「総力戦」と呼ばれる国家をあげた戦いに、一般市民も最前線に送り出された。
戦車や機関銃、次々と投入される新兵器。長時間にわたる塹壕戦のストレスが兵士たちに重くのしかかった。

突然の痙攣や歩行障害などの症状は、「シェルショック(砲弾ショック)」と呼ばれた。
1937年7月、日中戦争が勃発。戦線の拡大と共に、日本の兵士たちにも精神的な変調を訴える者が増えていった。
過酷な戦争体験により、心を壊されていった兵士たちの貴重な映像が残されている。

その映像には手足の痙攣が止まらず、字がうまく書けない兵士や、コップの水を飲むことも難しい兵士、立ち上がったり歩いたりするのが困難で倒れてしまう兵士の姿も映っていた。
当時は「戦争神経症」と呼ばれ、痙攣や発作を起こす兵士も多かった。

だが、軍は「大戦名物の“砲弾病”皇軍には皆無」と、精神疾患の兵士はひとりもいないとして、その存在を否定した。
そんな兵士たちを国民の目からそらすため、軍はある施設に収容した。千葉県市川市に開設された「国府台陸軍病院」だ。

日中戦争が拡大した1938年から太平洋戦争が終わるまでの7年間、1万人を超える精神疾患の兵士たちを収容。全国から優秀な軍医を集め、秘密裏に研究も行われていた。

















