“退院できる状態ではない”けれど…「隠れて見えない」被害者の姿

宮崎市に住む松元智子さん(49)。当時1歳の娘、葵ちゃんは生まれつきの心臓病で、専門的な治療のため宮崎から熊本市民病院に入院していた。

2度の手術を受け容態は回復に向かっていたが、熊本地震が発生。病院から避難せざるを得なかった。

家族の車に必要な医療機器を積み込み、宮崎に戻ることになった。

松元智子さん
「退院できる状態じゃないので、どこに入院したらいいんだろうと。ただやっぱり怖いというのが、熊本地震が起きて、すごく怖いというのがあった。宮崎に帰れるというのは、正直安心感もあの時はあった」

その後、宮崎市内の病院に入院したが、徐々に容態は悪化。地震から1か月半後の6月1日に亡くなった。

松元智子さん
「どうやったら葵を助けることができたのかなと。あの時どう動いたら私は良かったんだろうと、ずっと今でも思ってますね」

智子さんは3年前、ずっと手元に置いていた葵ちゃんの遺骨を納めた。葵ちゃんが亡くなった病院に足を運ぶのはつらく、災害関連死には申請できずにいる。このため、278人とされる熊本地震の死者には含まれていない。だが、今、智子さんは…

松元智子さん
「うちの子は熊本地震の被災者で、被害者だと私は思っている。(関連死の)申請をしていないから、その中には入れてもらえないんだなと改めて感じて。私たちに大切なことをいっぱい教えてくれた年月を無駄にしたくない。熊本地震で亡くなった方は少ないのではないかと思っている方ももしかしたらいるかもしれない。けど、本当は隠れて見えない方たちがいっぱいいるんだよというのは知ってもらいたい」

あの時、小児循環器内科の部長として対応に当たった八浪医師。病院にいた全員が避難せざるを得なかったとしても、一人でも多くを救う方法はなかったのか。今でも自問している。

熊本市民病院 小児循環器内科 八浪浩一部長(当時)
「退院せずに治療を継続した方が良い方も退院してる方はいらっしゃいますよね。葵さんになりますよね」

「うちが赤ちゃんの時からずっと診てる患者さんで、最後までうちで治療をすべき患者さんたちだったと思う。うちでやったからどれぐらい頑張れたのかはわからないが、患者さんもそう望んでいましたし、私たちも震災がなければ最後まで診療させていただいたと思う」