“なにもできない無力感” 入院患者310人はその後

花梨ちゃんが入院していた小児循環器内科には当時、心臓などに疾患を抱える18人の子どもが入院していた。

部長だった八浪浩一医師は、ひとりひとり、転院や退院の手続きを進めていった。

熊本市民病院 小児循環器内科 八浪浩一部長(当時)
「混乱してましたね。このまま動かずにいて、崩壊したらどうなるんだと。おそらくみんな思っていたと思う。恐怖だったと思います」

入院患者310人の中で最後に病院を出たのが、花梨ちゃんだった。

全員の避難を終えた時…

熊本市民病院 小児循環器内科 八浪浩一部長(当時)
「呆然としていたというか。やることはやって搬送は終わったが、そのあとは何も考えられなかった。医療従事者として何もできなくなってしまった、無力感が強かった」

医師たちは、避難所を訪れたほか、患者との連絡も取り続けた。本震から12日後、被害の小さかった建物で外来を再開した。しかし、心臓に重い病気を抱える子どもを受け入れられる状況ではなかった。

熊本市民病院 小児循環器内科 八浪浩一部長(当時)
「自分たちがずっと診ていた患者さんたちを診療できる状況じゃなかった。どんなふうにして子どもさんたちを診ていったらいいのか、ものすごくそういうことを考えると不安で仕方がなかった」

入院患者310人はその後どうなったのか。

地震から1年後に市民病院は、追跡調査を行った。転院した200人については、15人が亡くなっていたことが分かり、このうち花梨ちゃんを含めた2人は、転院の影響があったと結論づけた。

だが、この調査には含まれない人たちがいた。退院という扱いで避難した入院患者110人については、今も調査が行われていない。

その中の1人の家族が取材に応じた。