“これで良かったのだろうか” 患者全員避難 医師の葛藤
2度目の最大震度7を観測した2016年4月16日未明。熊本市民病院の様子をカメラがとらえていた。
日下部キャスター(2016年4月16日)
「熊本市内にある市民病院ですけれども、この建物が倒壊するおそれもあるということで、入院している患者さんを別の場所に移送する準備が進められています」

熊本市民病院 当時の総務課長
「倒れたりとか、ガラスが割れたりとかしてますので、今は全員患者さんを1階におろしています」
この時、病院はかつてない判断を迫られていた。当時、市民病院の院長だった高田明医師。災害対策本部長として指揮をとった。
本震発生から約4時間半後の午前6時、入院患者310人全員の避難を決めた。

熊本市民病院 高田明院長(当時)
「もう苦渋の決断でしたし、こういう災害とかの時に一番必要な医療を提供しなければいけないのに、自分たちがそれができないのは非常につらかった」
余震が続く中、倒壊の危険がある病棟で医療行為を続けることはできないという判断だった。

熊本市民病院 高田明院長(当時)
「『今はこれしかないんじゃないか』と決断した。『これで良かったのだろうか』という思いは強くあった」
現場の医師も葛藤していた。宮崎花梨ちゃんの主治医だった本田啓医師。花梨ちゃんは、3度目の手術を終えたばかりで、集中治療室での治療を続けていた。ベッドを移動するだけでも命の危険が伴う状態だった。
本田啓医師 宮崎花梨ちゃんの主治医(当時)
「正直動かせる状況じゃない、いわゆる避難できるような状況じゃなかったので、院長先生とお話をして、残ることができないかとか、そういった道もないかという話はした」
しかし、結局、転院を選ばざるを得なかった。

本田啓医師 宮崎花梨ちゃんの主治医(当時)
「例えば透析、腹膜透析をしていたができない状況にあったり、移動しなければ医療が続けられない状況に」

花梨ちゃんを福岡の病院に搬送する際の写真が残っている。エレベーターは使えず、医師、看護師、総出で2階の集中治療室から、階段で花梨ちゃんを救急車へと運んだ。
肺炎などの症状もある花梨ちゃんには、治療用のボンベ(治療用の一酸化窒素ガスのボンベ)や点滴など、外すことのできない医療機器がつながった状態だった。本田医師は、搬送中、花梨ちゃんにずっと付き添い続けた。

本田啓医師 宮崎花梨ちゃんの主治医(当時)
「花梨ちゃんの病状を細かく診ながら、緊張の状況が続いていた。無我夢中というか、この移動というのを安全に続けるために専念していた」
だが、花梨ちゃんへの負担は大きかった。

本田啓医師 宮崎花梨ちゃんの主治医(当時)
「酸素の値とかも下がりますし、病状の不安定さは移動中もありながらも、頑張って安定して維持してくれた。花梨さんの頑張りだった」
5日後に亡くなった花梨ちゃん。訃報は母のさくらさんからの電話で知った。その時の思いは、今も言葉にできない。

本田啓医師 宮崎花梨ちゃんの主治医(当時)
「正直一言では言えない。言葉がちょっと選べない」














