「クマさんの力を借りるしかない」反社会勢力との新たな戦いへ

そこで猪狩が白羽の矢を立てたのが、旧知の熊﨑勝彦だった。

「12球団をまとめるには、クマさんの力を借りるしかない。NPBのコンプライアンス担当としてコミッショナー顧問に迎え、暴力団排除問題の陣頭指揮を執ってもらいましょう」

この提案は、猪狩から山口を経てコミッショナー事務局長に伝えられ、最終的に根来のもとへと上申された。検事時代の大先輩にあたる根来から声をかけられた熊﨑は、しばし考えた末、その要請を受け入れることになる。

「プロ野球の暴排については正直よく分からんが…お前が頼りだ。しっかりやってくれよ」

熊﨑はそう言って、笑顔で猪狩に語った。その言葉を受け、猪狩も覚悟を示した。

「根回しは山口さんと私で引き受けます。協議会で熊﨑さんが、ビシッと言ってくだされば、それで十分です。必ずうまくいきますから」(「激突」猪狩俊郎)

2004年5月20日。第3回「暴力団等排除対策協議会」に出席した熊﨑は、十二球団が足並みをそろえられず、混迷を深める現実を、否応なく突きつけられることになる。

熊﨑は2004年9月、定年を数か月後に控え、最高検公安部長を最後に検察官としてのキャリアに幕を下ろした。
第一東京弁護士会への弁護士登録は、猪狩が代行した。

そして翌2005年1月、熊﨑は正式にNPBのコンプライアンス担当「コミッショナー顧問」に就任した。

プロ野球の世界に身を投じるという決断。
熊﨑にとって、それは「反社会勢力」との新たな戦いの始まりを意味していた。

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
ゼネラルプロデューサー
岩花 光

《参考文献》
猪狩俊郎「激突」光文社
村山 治「安倍・菅政権vs検察庁」文藝春秋
熊﨑勝彦/鎌田靖「平成重大事件の深層」中公新書クラレ
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」 新潮社