敗戦の責任を一家で負担

幕田稔の生家(山形市 2025年9月撮影)

核心部分の質問に対して、「合同謀議」で一網打尽にするという米軍の筋書きとは正反対の答えを法廷で堂々と述べた幕田は、米兵1人を斬首した実行役としての行為は認めていた。このままでは極刑になることを危惧した弁護団は、最後の手段として判決前に駆け込みで嘆願書を提出することにして、幕田の弁護を担当する金井重男弁護士が2月14日に幕田の母トメに手紙を出していた。

その9日後、金井弁護士からトメに送られたはがきには、幕田家に悲しい知らせが届いたことがわかる記述があった。

<金井弁護士からトメ宛のはがき>1948年2月23日
本日お手紙いただきました。御主人様のこと、いかばかり御愁傷の事と御察し致します。重ね重ねの御不運、お慰めの言葉もありません。敗戦の責任を御一家で負担して居られるようにしか思われません。


終戦後も行方が分からなくなっていた幕田大尉の父、幸吉が亡くなったことを知らせるトメの手紙への返事だった。幸吉は中学の教員から出征して、終戦後もシベリアに抑留されているという話になっていた。息子の戦犯裁判が佳境を迎えているこの時期に届いた訃報にトメはどんなに嘆き悲しんだことであろう。