終戦の4か月前、撃墜した米軍機の搭乗員を石垣島で殺害したとして、戦後、BC級戦犯に問われた幕田稔大尉は、再審でも死刑が確定した。その7か月後の1949年9月、幕田の家族はなんとか減刑に持ち込もうと証人を探し、ふるさと山形で東京の弁護士と手紙のやり取りをしていた。一方、スガモプリズンでは毎月、死刑が執行され、「米軍機の無差別爆撃は国際法違反」と法廷で主張した東海軍の司令官、岡田資(たすく)中将にもその日が訪れたー。

弁護士からの葉書 有利な証人あればまだ間に合う

幕田稔大尉

3人の米兵殺害に対して、41人に死刑が宣告された石垣島事件では、判決から1年後、再審によって28人が減刑され、死刑は13人にまで減った。石垣島に配置された海軍の特攻・震洋隊の隊長だった幕田稔大尉は、命令によって一人を斬首したが、再審でも死刑のままで、スガモプリズンの死刑囚棟での生活が続いていた。7か月後、山形の母トメに送られた弁護士からのはがきが残されていた。

<金井重男弁護士から母トメへのはがき 1949年9月13日>
ただ今、速達便、受領致しました。有利な証人がありますなら、今でもまだ間に合います。決定前に提出できるなら、別に何時までと期限は切ってないのですから、考慮に入れられます。問題は有利と言われるその内容如何です。もし何かお心当たりがありますなら、至急御連絡下さい。なお本日、お珍しい洋梨たくさんお送り下され、感謝のことばもありません。いつも、いつもご心配をおかけして恐縮に存じております。取りあえず、お返事かたがた御礼まで。9月13日夜