1948年3月16日。戦時中、米兵の捕虜を殺害したとしてBC級戦犯に問われていた幕田稔大尉への判決が宣告された。米軍が裁いていた横浜軍事法廷へ傍聴に行った幕田の母の目の前で息子に言い渡されたのは、死刑だった。その3か月後、判決の直前まで嘆願書の署名を集めるなどしていた母に、担当の弁護士は「家族としてすることは終わった」と手紙で伝えていたが、数日経って、別の人から母の元へ葉書が届いた。「実母がマッカーサーに会って直接お願いするのが有効」。そして母がとった行動はー。
逆境はかえって人生の意義の発見
幕田稔大尉の母トメに葉書を出したのは、花山信勝だった。花山は東京大学の教授を務める一方で、1946年2月からスガモプリズンの教誨師を務めていた。幕田の判決が出たのは1948年3月だが、この9カ月後、東條英機らA級戦犯7人の死刑が執行され、花山教誨師は最期まで寄り添うことになる。翌年の6月からは二代目教誨師として田嶋隆純が就任している。
その花山教誨師からの葉書には次のように書かれていた。
<花山信勝からトメに宛てた葉書 1948年6月14日>
巣鴨の幕田君は元気に佛書を読み、来るべき日を覚悟して生活しておられます。御母堂としては尽きせぬ涙であろうと深くお察しいたします。今後、減刑あるかどうか、今一度最後の決定があってからですから、まだ執行になりませんが、逆境がかえって人生の意義の発見ともなります。最近、通信も許すとなり、面会も許されたのですから、月曜以降なれば巣鴨にて面会が出来るはずです。ハガキは時々だされたがよいと考えます。
















