最後だとわかっていたなら、大切な人とのひとときをもっと大事にすれば良かった。被災者たちがそう後悔する動画が学校の授業で使われ、若者の心を動かしています。学校、そして、動画で後悔を語った家族を取材しました。
その授業を受けた生徒たちの目に涙が浮かびます。「こんなに生徒が泣く授業は初めて」、教師たちは言います。震災についてのある広告を利用した「最後だとわかっていたなら」という授業です。
2011年3月11日、東北を襲った津波。岩手県でも海辺の町が壊滅的な被害を受け、あわせて5000人以上が犠牲になりました。授業に使われている広告は、その岩手県の新聞社「岩手日報」が出したものです。
3月11日を「大切な人を想う日に」と呼びかけるキャンペーン広告。2017年から毎年動画も公開。被災者が「あれが最後だとわかっていたなら」と、大切な人との最後のときを悔いるものです。例えば…
山陰瑠里子さん(岩手日報特設サイトより)
「いま帰るから、とにかくここにいてよ。っていうのが最後の言葉でしたね。茶の間で『行ってらっしゃい』って言って送った。それが最後(の姿)。最後だってわかっていたら、お弁当作って、ちゃんと玄関まで出たかな。車が出て行くまで見送ったかな。震災を忘れたり、風化してしまったら死に損じゃないけど、なんであの人は、なんの為に死んじゃったんだろう?」
息子の皇騎さん
「そこにある写真の感じで誕生日をやったのは覚えてる」
山陰瑠里子さん
「お父さんと話してみたいね」
動画を見て「大切な人とどう向き合うか」、生徒に問いかける道徳の授業が各地で行われるようになり、岩手日報は広告を教材化しました。
生まれる前に起きた震災は想像できなくても、大切な人がいなくなってしまうことを思い浮かべることはできます。動画の被災者と自身を重ね合わせます。
中学2年生
「大切な人がいつまでも生きているわけではない。そこを意識して大切にしていきたい」
「親は喧嘩したとき、うざくて無視しちゃう。『無視しちゃってごめんね』」
岩手日報の柏山さんは、こう話します。
岩手日報 柏山弦さん
「震災のときっていろいろあったけど、優しさにあふれていたような気がする。お互いがお互いを想うとか、『自分にできること何だろう』とか。それが平常化する、常にそういう感じになるといいな」
茨城県ひたちなか市。震災では、この市場のあたりも高さおよそ4メートルの津波に襲われました。そのひたちなかの小学校でも、5年生の児童と保護者が授業を受けました。
小学5年生
「いろんなことを通じて震災を知っていたけど、こんなにも悲しいものだとは。少し軽く思っていました」
震災の見方が変わったそうです。
大阪の東朋高等専修学校。動画を見たあと、大切な人に手紙を書きました。家族への想いがこみ上げます。生徒からは、こんな声も聞かれました。
高校3年生
「大切な人が亡くなるという動画が多かった。地震ってテレビとか落ちてくる。家族がいると、失うとか絶対したくないので、全部(家具を)固定すると思う」
防災を意識する声です。
岩手日報 柏山弦さん
「悲しかったり泣いたり、一旦感情が動くと、根っこにあるのは東日本大震災だと思うと、それが防災行動につながる」
岩手県釜石市の山陰瑠里子さん(48)と、息子の皇騎さん(17)、宗真さん(16)です。6年前、「最後だとわかっていたなら」の動画に出演しました。
山陰瑠里子さん(岩手日報特設サイトより)
「最後だってわかっていたら、お弁当作って、ちゃんと玄関まで出たかな」
夫・剛さんと何気なく別れたことを後悔するのは、剛さんが行方不明になったあと、悔しい思いをしたからだと明かしてくれました。
山陰瑠里子さん
「(剛さんが)行方不明になったときに、捜しに行ったときに何を着ていたのか、どんな格好で行ったのかわからなかった。悔しくて。私、捜せないじゃん」
以来、息子たちが出かけるときは外に出て、姿が見えなくなるまで手を振ります。息子だけでなく、周囲の人との時を大切にするようになりました。
そんな瑠里子さんのもとで育った2人。高校生になり、「夢団」という団体に入りました。震災の記憶をつなぎ、防災を促す活動に取り組むようになったのです。
震災当時、2人は2歳と1歳で、ほとんど覚えていませんが…
皇騎さん
「『経験していなくても語っていいよ』って、語り部さんから聞いた言葉で、誰でも語っていいんだな」
震災を忘れたら、「夫の死が無駄になる」と話していた瑠里子さん。
山陰瑠里子さん
「この子たちがやることで、何か意味があるんじゃないか。どんどんやってほしい」
長男・皇騎さんは今年卒業。釜石を離れ、仙台の大学に行きます。
皇騎さん
「18年間、真心を持って、手間隙かけて育ててくれた感謝の気持ち。恩返ししたい」
山陰瑠里子さん
「先生に『山陰兄弟は立派に育ちましたね』と言われたのがすごくうれしくて。『あー、あたし頑張ったんだ』って」
そして、きょう。釜石市の追悼式。皇騎さんが「未来へのメッセージ」を伝えました。
皇騎さん
「3月11日は私にとって特別な日です。一生忘れることはありません。一生記憶をつないでいきたい。母が私に語り継いでくれたように、防災活動を通して多くのことを教えてくれた方々のように。そして、お父さん。いつまでたっても一人前になれる気がしませんが、ずっと私たちを見守っていてください」
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