1949年2月11日の毎日新聞。終戦の年に石垣島で米軍機搭乗員3人を殺害したとして横浜軍事法廷で死刑を宣告された41人に対する再審の結果が掲載された。41人のうち28人が減刑されたものの、13人はやはり死刑のままだった。1人目の米兵を斬首した海軍の特攻、震洋隊の隊長・幕田稔大尉もやはり「死刑確定者」とされた13人のうちの一人だった。発表の前日、スガモプリズンでは死刑が執行される8人が死刑囚の棟から連れ出された。死刑囚たちは毎日、生と死の間で揺さぶられていたー。
13人死刑確定 28人は減刑
1948年3月16日に言い渡された41人死刑の異様な判決は、10カ月後の再審では28人が減刑されるという結果になった。終身刑になった人が7人、20年から5年の重労働になった人が18人、そして無罪になり釈放された人が3人いた。しかし、石垣島警備隊司令の井上乙彦大佐をはじめ、副長の井上勝太郎大尉や、現場を指揮する立場だった将校や下士官、そして実行役として米兵を斬首した幕田大尉と田口少尉、杭に縛られた米兵を最初と二番目に銃剣で突いた藤中一等兵曹と成迫上等兵曹ら合わせて13人は死刑のままだった。
















