西郷隆盛の叔父もいた国事犯…東北で起きた「ある出来事」

宮城県に送られた国事犯は、七士だけではない。

西南戦争後、反政府の「国事犯」として宮城の監獄に収容されたのは305人だったと先に述べた。

彼らの多くは、戦いに敗れ、囚人として異郷に送られた身でありながら、看守を含めて周囲から一目置かれる存在となっていったという。

国事犯たちは、漢詩や書をたしなみ、一般の囚人に学問を教えたほか、自ら願い出て開墾や港の工事などにもあたった。

かつて戊辰戦争では、「官軍」として東北に攻め込んできた薩軍だけに、宮城では警戒心を抱く人もあっただろう。

しかし、獄外で開墾などに汗を流すその姿勢は、地元の人々にも静かな驚きをもって受け止められていたという。

そうした国事犯たちの中心にいたのが、西郷隆盛の叔父にあたる椎原国幹だ。

七士がこの地で相次いで命を落とした翌年—。

東北の地で起きた“ある出来事”が、「薩摩武士」は囚人となってもなお、サムライであり続けたことを、人々に深く刻み込むことになる。

(後編に続く→)囚人となった「明治の薩摩武士たち」…炎の中で示した「ラストサムライの矜持」