「法を越えた異例の決着」 30人の犠牲 大統領が謝礼を拒んだ「真意」
小野田さん帰還の裏で、日本政府に伝えられた、ある事実がありました。

それは1950年以来、小野田さんら旧日本兵により住民ら約30人が殺され、100数人が傷つけられ、食料などが奪われたというものでした。
政府は反日感情が高まるのを恐れ、フィリピン政府に補償を行おうと考えます。
しかし、先の大戦でフィリピンに甚大な損害を与えた日本は、5憶5千万ドルの戦後賠償金の支払いをほぼ終えていました。当時、両国政府の交渉に携わり、のちに外務事務次官になった竹内行夫さんはこう話します。

元外務事務次官 竹内行夫氏
「もう一度賠償をやり直すという訳にはいかないのです。かといって、ルバング島の個人の方に何か賠償を、この家ではどれだけの被害を受けたから、この家庭には幾らという積み上げをしてやるというのも、フィリピンのみならず、他の国との関係でも波及するという問題もありえます」
そこで政府は、謝礼という形で3億円を支払うことに。マルコス大統領に伝えたところ、意外な答えがかえってきました。

元外務事務次官 竹内行夫氏
「(マルコス大統領)自分としてはこのお金は受け取るわけにはいきません。自分は小野田さんの軍人魂に本当に敬服したんだと。自分は彼を英雄だと思っている」
大統領は、小野田さんに罪を問いませんでした。そして、それをお金のためとは思われたくないと、謝礼の受け取りを拒否したのです。

その思いを受け、日本は、3億円を小野田基金という形で、民間に寄付することを提案。お金は、日本語学校の運営や留学支援など、両国の友好に役立てられました。
小野田さんは、帰国の翌年、兄のいるブラジルへ渡り、牧場をはじめます。様変わりした日本には馴染めなかったのです。

晩年は、おりおりに日本へもどり、自然の中で子どもたちの育成に情熱を注いだ小野田さん。2014年、91歳で亡くなりました。

















