「生き延びて、任務を完遂せよ」 叩きこまれた旧陸軍と真逆の精神
静岡県 浜松市 天竜区。ここに、1944年、東京にあったスパイの養成機関、陸軍中野学校の分校として、二俣分校が開校します。
どんな学校だったのか、生き証人が見つかりました。103歳の井登慧(いと・さとし)さん。小野田さんとは二俣分校の同期でした。
見せてくれたのは、分校出身者が戦後まとめた記録。

この分校の目的は、謀略、偵察、潜行などにたけたスパイを育てること。自然の中でのゲリラ戦術や破壊工作なども学んだそうです。

陸軍中野学校 二俣分校出身 井登慧さん
「河原で爆破演習をする。リュックサックに爆薬を入れて夜間潜入し、敵の陣地に行って爆破する。秘密戦の教育を受けたのだから、秘密戦士として活躍しろと」
当時の小野田さんは…
陸軍中野学校 二俣分校出身 井登慧さん
「(小野田君は)勉強家でね。日曜日、静岡に(皆は)息抜きに外出しますね。ところが小野田君は旅館の一室を借りて勉強していた」
分校で叩きこまれたのは、旧陸軍の玉砕覚悟の精神とは真逆でした。
陸軍中野学校 二俣分校出身 井登慧さん
「命を大事にせよ。生き延びよ。生き延びて、任務を完遂せよ」
「師団長からもルバング島では玉砕するなと。ヤシの実をかじってでも生きとれ。そういう命令だったんです」
でも、もう戦争は終わっていました。なぜ、小野田さんは、ジャングルにひそみ続けたのでしょうか?

















