ジャングルに消えた「少尉」 戦争が終わっても潜み続けたワケ
1972年10月、フィリピンで、旧日本兵が現地の警察と撃ち合いになり、一人が死亡。一人は逃亡しました。やがて、逃げたのは小野田寛郎少尉と判明します。

現場となったのは、フィリピンのルバング島。
日本政府は、すぐさま捜索隊を派遣します。
旧日本兵の支援を担当する厚生省の職員と、小野田さんの家族、さらにフィリピン軍もまじえたタスクフォース・オノダが結成されました。
当時の捜索に通訳として参加した大野拓司(おおの・たくし)さん。後に新聞記者となり、小野田さんへのインタビューもしています。

捜索隊に通訳として参加 大野拓司さん
「小野田さんは傷ついているんじゃないか、撃たれているんじゃないか。捜索隊はすぐに見つかる、非常に楽観的。そういう気持ちでしたね」
捜索隊の呼びかけ
「小野田さんだったら手をあげてください」
捜索隊は、道なきジャングルに分け入り、海に出て船からも呼びかけ。

さらには上空から大量のビラも。「心配しないで早く出てきてください」と呼びかけますが、捜索は難航します。
それにしても、小野田さんは、なぜ、ジャングルに潜み続けるのか?実は、特殊な軍人として養成されていたからです。

















