上流・下流の長きにわたる“対立”
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約460本の河川から水が流入しているのに対し、水が出ていくのは「瀬田川」の1本だけだという点も大きな特徴です(河川以外の流出口としては、ほかに京都への水を運ぶ「琵琶湖疎水」も)。
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そんな琵琶湖の水の唯一の調整弁であるのが「瀬田川洗堰」。この洗堰の操作をめぐっては、双方の利害が真っ向から衝突し、対立する構造が1905年(現在の形の前身となる洗堰が完成した年)から90年間にわたって続きました。
水不足時の対立構図は明確です。上流の滋賀県側は、農業への影響や生態系保護の観点から、水位維持のため洗堰を閉めたいと考えます。ニゴロブナの産卵場所確保など、生物多様性への配慮も重要な要素となります。一方、京都や大阪などの下流側は生活用水や農業用水確保のため、洗堰を開けての放水を求めます。
洪水時には立場が逆転します。400本以上の河川から水が流入する琵琶湖は、ゲリラ豪雨で一気に水位が上昇します。1秒間に最大6000立方メートルの水が流入するのに対し、洗堰から排出できるのは1秒間に800立方メートルのみです。この圧倒的な差が、調整を難しいものにしています。
つまり、上流側は水があふれるのを防ぐため早期の放水を求めますが、下流側は洪水被害を恐れて放水制限を求めるのです。
この膠着状態を打破したのが1992年に制定された「瀬田川洗堰操作規則」です。国土交通省、近畿地方整備局が近隣自治体の意見を調整し、明確な操作基準を策定しました。現在はこのルールに基づいて洗堰の開閉が行われており、かつてのような激しい対立は解消されています。














