命令の通りだったのにまるで“主犯”
実際には三人の米軍機搭乗員のうち、幕田大尉が斬首したのはティボ中尉一人のみで、タグル兵曹は田口泰正少尉が斬首、ロイド兵曹は縛られて大勢が刺突訓練の的にした。この記事を読むと、幕田が一人で三人を斬ったあと、ほかの兵士たちが三人の遺体を突いて訓練に利用したように捉えられるが、事実は異なる。殺害方法や処刑の実行役、その順番は、石垣島警備隊の幹部が揃った会議で決められ。一人目の斬首役として幕田が指名され、通達された。幕田は命令をうけた駒の一人でしかない。しかし記事では、幕田が前面に出ていて、まるで「主犯」のような印象だ。この3日後、横浜裁判の初日に報じた毎日新聞の記事もそうだった。
軍事裁判を進める第八軍が意図するもの
<大量公判開始 横浜裁判>1947年11月26日毎日新聞
【横浜発】戦犯法廷開始以来の大量公判が二十六日開廷される。元海軍石垣島守備隊元大佐井上乙彦、大尉幕田稔、同井上勝太郎ら四十四名にかかる死体き損、同冒とく罪ならびにこれがほう助に関する裁判で、起訴状ならびに罪状項目は昭和二十年四月米グラマン戦闘機とう乗員テボー中尉以下二名が落下さんで降下した際、捕虜を被告幕田大尉は軍刀でざん首、幕田以下は捕虜死体を銃剣術の的とする等の残虐行為を演じ、井上大尉は監督不行届、井上(乙)大佐は責任を問われたものである。
















