警察の被害者支援を実感した出来事
事件直後の超混乱期に現れたのは、「何でもします」と大阪府警から来た被害者支援対策室担当の警察官2人だった。帰宅の付き添い、家に帰ってから洗濯物を取り込む、報道陣から逃れるために窓のカーテンを閉める、残された子どもの幼稚園の送迎援助といった生活支援だ。
(酒井肇さん)
「今振り返るとたった11日間の支援でした。しかし今でも最も実感を得たという支援だったことには違いありません。いかに早期支援が被害者にとって重要であるか、そのことを裏付けています」
当時、酒井さんは通夜や葬式すら取り囲む報道陣にも困っていた。「娘と過ごす最後の時間、そっとしてほしい」との思いから、自身やマンションの管理人などが取材自粛を依頼しても報道陣は立ち退かない。しかし制服の警察官が要請すると報道陣が避けたというのだ。「警察にしかできない被害者支援もあるのだな」と酒井さんが実感した一幕だった。
いっぽう、混乱期における報道内容に対する支援は受けられなかった。自分たちの様々な報道をされていることに気づいてはいたが、マスコミ対応の仕方を提案する支援者や、マスコミと犯罪被害者の間に入って調整するような支援者は現れなかったのだ。














