ホミサイドサバイバーとは アメリカでの出会い

 酒井さんら家族は2002年にアメリカを訪ねて、コロンバイン高校銃乱射事件の犠牲者家族や、アリゾナ州にある殺人事件遺族の会の代表、ゲール・リーランドさんに会ったという。

(酒井肇さん)
「私たちの中で、事件に遭遇しても力強く生きていきたいという気持ちがあったので、ホミサイドサバイバー(=直訳すると、殺人犯罪の生存者)という言葉を使いました。実際にゲールさんに会い、息子さんを亡くされてから歩んでこられた壮絶な生き方や力強さに、私の人生の参考となるモデルを見出したと思いました」

 酒井さんはアメリカで、被害者支援団体が捜査機関と連携し、警察のパトロールに同行しながら、事件発生すぐに被害者に対して支援の手を差し伸べる仕組みが整っていること、そして「プライバシーとメディア」と題して「被害者がしていいこと」として、”取材依頼に対して断ること”、”イヤな写真や映像が出版されたり放送されたりすることがないように頼むこと”など18項目を記した文書が手渡されることを知った。

 こうした経験を経て、酒井さんとマスメディアとの関係がすこしづつ変化していったという。

(酒井肇さん)
「お通夜、お葬式の壮絶な報道被害に嫌悪感や増悪感を抱いていました。と同時に、私たちの思いを世の中に伝えたい。私たちと同じ苦しみを持った、苦しみを味わった、家族をなくされたご遺族と語り合いたいという願いを持ちました。長井先生からは『犯罪被害者に対して理解のあるメディアもいらっしゃいますよ』と教えていただいた」

【part4】報道被害を受けた遺族が「被害にあわれたあなたへ」取材対応リーフレットで支援 それでもマスメディアにかかわり取材を受ける”メリット”とは…へ続く

【part1を読む】「ご父兄ですか?何か一言を」無神経にマイク向けるマスコミへ怒り 「助かる見込みはありません」医師の非情な宣告 附属池田小事件で娘奪われた遺族が『超混乱期』振り返る

【part2を読む】「怖かったよね、痛かったよね」現れた鮮やかな幻影に声かけた 血だまりと小さな手形に娘の最期の思いを知った日