「これでお国のためになった」いとこの戦死に感じた“喜び”


 家族が誰も出征しておらず、母が「一人前」でないと言われ続けることに、梅本さんも子どもながらに、どこか劣等感を感じていた。
 
 そうした中、太平洋戦争開戦の翌年の1942年、いとこの吉田隆一さん(当時24)が満州(中国東北部)で戦死したとの知らせが届く。親戚から戦死者が出たことに、梅本さんが抱いた感情は、悲しみではなかった。

「戦死したときに私、嬉しかったんです。うちの親戚で戦死者が出た。これでお国のためになったというふうな気持ちになってね。悲しいというより、うれしかったんです、戦死が」


 梅本さんは、いとこの吉田さんの遺骨が収められた白い包みが届いたとき、「私のいとこが死んだんや」と、喜びながら周囲の友人に言って回ったという。

 吉田さんの葬式は「村葬」として、村をあげて行われた。国のために命を捧げたことを、すべての人が称えていた。悲嘆にくれる空気は、まったくなかったのである。