ウクライナからの避難民は増え続けていますが、その中にはたくさんの子どもたちがいます。ウクライナからたった一人で1100キロを逃げてきたという少年を取材しました。
■「僕は男だから泣かない」列車で3日かけ隣国スロバキアへ
危険な状況の中、ウクライナから1100キロの道のりをたった一人で避難し、家族と再会できた少年がいます。ウクライナの隣国スロバキアのアパートに暮らすハサンくん11歳。6人きょうだいの末っ子で甘えん坊です。

ハサン君(11)
「お母さんと離れたことがなかったし、これからも離れたくない」

ハサン君が暮らしていたのは、ウクライナのザポリージャ。ロシア軍の攻撃を受けた原発のある街です。母親は認知症の祖母を一人残すことができず、ハサン君だけをきょうだいが暮らすスロバキアに避難させました。避難には列車で3日かかったといいます。

ハサン君
「リビウを通った時が一番つらかった。24時間列車の中にいなければいけなかったし、すごく混んでいたから」
避難する長距離列車はどれも混雑し、ストレスから乗客が言い争うこともあります。
乗客の女性
「私の子どもは立っているのよ。座りたいから場所を譲ってください」
それでもハサン君は・・・
ハサン君
「女の人と子どもがきたから席を譲ってあげた」
笑顔で話すハサン君。しかし、きょうだいは列車から電話をかけてきたときの弟の声が忘れられないといいます。

兄・モハメドさん(15)
「ハサンの声が震えていたから泣きそうだと思った」

姉・ルナさん(16)
「『泣きたいの?』と聞いたらハサンは『僕は男だから泣かないよ』って」
■爆撃され意識を失っても・・・手に連絡先を書いた母の思い
避難するとき、母から言われ手に書いたきょうだいの連絡先。

消えないように、列車の中で何度もなぞっていたといいます。
そして無事国境にたどり着き、警備隊とボランティアに保護されました。手に書いた連絡先を頼りにきょうだいと再会することができたのです。

ハサン君
「みんな自分のことで精一杯なのに手伝ってくれて本当に感謝していると伝えたいです」
そしてその後、ウクライナに残っていた母親と祖母も避難することができ、家族が再会できたのです。
ハサン君
「とても嬉しくてお母さんを抱きしめてあげて『愛している』と言ってまた抱きしめてあげた」

母・ユリアさん(53)
「皆さん本当に命の恩人です。ハサンの避難を手伝ってくれた人たちに、今まで感じたことがないほど感謝しています」
ユリアさんはハサンくんを一人で避難させるのは苦渋の決断だったといいます。

ユリアさん
「1人で避難させるのはとても怖かったですが、ハサンに生き延びてほしかったんです」
連絡先を手に書かせたことには、別の理由もありました。
ユリアさん
「もし列車が爆撃されてハサンが意識を失っても、誰かがこの番号を見てくれたら連絡してくれるだろうと思ったんです」
記者
「攻撃を受ける恐怖があった?」
ユリアさん
「走っている車が攻撃されているので、列車ももしかしたら攻撃にあうかもしれないと思いました。
これが私が一番怖かったことです」
親子が一緒に暮らせる当たり前の日常を、ウクライナの多くの家族が奪われています。
