◆判決の通達 デス・バイ・ハンギング

榎本宗応の判決を伝える文書(国立国会図書館 マイクロフィルムより)

横浜軍事法廷で榎本宗応に死刑が宣告されたのは、1948年3月16日。8日後の3月24日付の文書があった。裁判の結果を知らせるものだ。要約すると、

<榎本宗応は有罪判決を受けた。榎本は、名前が特定されている者と特定されていない者たちと一緒に、捕虜であるウォーレン・H・ロイド兵曹を虐待して殺害した。榎本は彼を殴って銃剣で刺し、また彼を殴って銃剣で刺すように部下に命令し、彼の身体を傷つけた。また、亡くなった捕虜のティボ中尉、タグル兵曹、ロイド兵曹の遺体を不名誉に埋め、彼の命令に従う者たちによって、ロイド兵曹の遺体をほかの遺体の入った処刑用の穴に蹴りこみ、墓として適切に表示することなく土と岩で覆わせた。判決:絞首刑>

◆マイクロフィルムの個人データと照合するも

石垣島事件の現場(国立公文書館所蔵の法務省資料)

国立国会図書館にある記録は、米国の国立公文書館にあるものを白黒コピーしてマイクロフィルムに収めたものだ。文字を読むことはできるが、写真は黒くつぶれている部分も多い。それでも、少しでも顔が分かれば、ほかの写真にうつる人物と照合できる可能性がある。

米国の国立公文書館には横浜軍事法廷の写真が収蔵されている。「最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇」(1993年 講談社)を著したジャーナリストの森口豁さんから、現地で複写した石垣島事件関係の写真を見せていただいた。この中に、警護する米兵と弁護士に付き添われて判決を宣告されている一人ずつの被告の写真が三十数枚あった。判決日には45名いたはずなので、全員分はない。実際、この連載の主人公、28歳で死刑執行された藤中松雄の写真はなかった。しかも写真の裏に貼られたキャプションは、違う人の名前ばかりで、誰が写っているのか分からない状態だった。国会図書館の個人データを手掛かりにして、写真にうつる人物を特定したかったのだ。

横浜軍事法廷で判決を宣告される元日本兵(米国立公文書館所蔵)

榎本が法廷に着席して写っている写真は座席表と突き合わせて特定できた。人の顔は正面から見た顔と、横顔や角度を変えて見た顔とは、印象が違うことがある。まだ誰かが判明していない写真の中に、榎本の個人データにある横顔と感じが似ている人がいた。年齢に矛盾はないが、どうだろうか。情報があれば是非お寄せ頂きたい。