高校生離れした前半のハイペース
落合の目標意識の高さは、前半400mの通過タイムの速さにも表れている。日本記録を出した昨年のインターハイは、F.ムティアニ(18、山梨学院高)がハイペースで引っ張ったこともあり、落合の400m通過は51秒38(日本陸連計測)と速かったが、それ以前から前半を速いタイムで入ることが多かった。前日本記録の1分45秒75を川元が出した時の400m通過は52秒2(筆者計測)だったが、落合は1分47秒92だった一昨年のインターハイも52秒83(陸連計測)で入っている。
大河監督は「1年時のインターハイでポケットされて(数人の選手に囲まれて)前に出ることができず、0.02秒差で予選落ちしたこと」がきっかけだったという。1年時の落合は6月のインターハイ近畿予選に、1分50秒19の高校1年最高記録で優勝し、関係者の注目を集め始めたタイミングでの出来事だった。
大河監督は「どうしたいんや」と落合に話しかけた。大河監督は種目を1500mに伸ばすことも選択肢の1つだと思っていたが、落合は「800mにこだわってやりたいです。今回(インターハイ)のように、人の後ろに付くレースはやりたくありません」と返してきた。そこから落合は、スタート直後から先頭に立つレース展開を行うようになった。
そのレースで勝ちきるためには、「1周目を52~53秒で入らないといけない」(大河監督)と2人は考えた。それを1年時10月の国体で実行し、1周目を52秒台で独走した。このときは2周目でペースダウンして1分56秒67の8位に終わったが、1周目の落合のスピードにスタンドがざわめいた。「落合は清々しい表情で、『僕はこのスタイルで行ききれるようにします』と言っていました」。そこから1周目を52~53秒台で入るレース展開が定着した。「そのペースで入っても、2周目を落ち込まないようにする」(大河監督)ことが、その後の2人の目標になった。
始めた理由は走りやすいレースパターンを貫くことだったが、それが2年時のインターハイ優勝後の目標設定と滋賀学園高の教育方針が相まって、世界を狙う落合が徐々にでき上がっていった。

















