◆ふびんな甥を思ってくださる兄へ 感謝の涙

石垣島事件で死刑執行された藤中松雄

<藤中松雄が兄に宛てた手紙 1950年2月28日>
拝啓 十四日付(の手紙)拝見いたしました。少しは快方に向かって居る由ですか。その後いかがかしら?全快祈っています。入院早くから知っていながら、つい今日までご無沙汰致しました。悪しからず。便りに「あの道を通らぬので孝坊、不審に思って居るだろうとありましたが、何時に変わらず常に不憫(ふびん)な甥共を思って下さる兄の心に涙がでつつ、兄に合掌するのみです。孝一、孝坊は優しく情け深い伯父を持ち、どんなに心強いことでしょう。字数制限了承

南無阿弥陀仏 合掌 松夫 於巣鴨 一九五〇年 二月二十八日 十八時

◆いつ呼ばれるともわからず 死と向き合う戦犯たち

藤中松雄の息子たち

藤中松雄と同じ時期にスガモプリズンの死刑囚の棟にいた冬至堅太郎。福岡出身の冬至は、西部軍司令部でB29搭乗員4人を斬首し、横浜軍事法廷で死刑の宣告を受けていた。同じ西部軍で戦犯に問われ、死刑を宣告されていた友人二人が、1950年3月25日に減刑された。冬至は友人が減刑されたことを喜び、少しさみしい気持ちを持ちながらも死刑囚の棟から別の棟へ出ていく二人を見送った。石垣島事件について、二回目の再審の結果が伝えられたのは、その三日後だった。