
ーーあまりに凄惨だから、そのまま伝えなくては、とはどういうことですか?
どの紛争地もそうだと後々気づくのですが、ガザでは、空爆で子どもを亡くした親がインタビューにすぐ答えてくれたり、亡くなった家族の写真をすぐくれたり、私たちの取材にとても協力的です。なんでだろうって思った時に、一つは、メディアをすごく頼っているのだということがわかりました。
空爆で友人や親戚、子どもが次々に亡くなり、最後に藁にもすがる思いでメディアしかないと訴えてくるんです。だからこそ取材に協力的で、だからこそ自分はその想いに応えなくてはいけない。この現状をそのまま伝えなくてはいけないという、自分の責任を感じました。
これは中東だからということではなくて、自分を必要としてくれている人がいて、自分にできることがあると実感する出会いがあったのが、たまたま中東だったんだと思います。
ーー「現地の現状をそのまま伝える」ということはとても大切だと思いますが、それだけで日本に伝わるでしょうか?
日本に伝えるための切り口を探す必要はないと思う一方で、自分が日本語で伝えることは大切にしました。現地の映像は、BBC、CNN、アルジャジーラなど海外の報道機関からも伝えられますし、個人的にSNSでも発信されています。でもそこに日本人がいると全然伝わり方が違うと思うんです。
日本から遠く離れた場所で起きていることは、日本の方にとっては非現実的に映ることがあるかもしれません。一方で、日本人がそこにいて、現場の状況に共感すると、見ている方もその日本人を通して共感してもらえる感覚があります。どんな遠くの国の話でも、きっかけさえあれば日本人はものすごく共感することができる力があると思うんです。なので、どんなマニアックな取材でも、そこに日本人の自分がいて日本語で話せば伝えられるんだ、と吹っ切れました。
■虫や魚におしゃべりしていた子ども時代 今は妻にー
ーー須賀川さんの現地リポートは本当に流暢で、現地の様子を日本にいる私たちに通訳してもらっているような感じがします。しかもあんなにずーっと話せるのはすごいですね。昔からですか?
小さい頃は虫が大好きで、ずーっと虫を見ていて、虫と話していました。オーストラリアに引っ越してからは、海が近かったので、魚を好きになり、ずーっと魚を見て、魚と話していました。
ーー今も、虫と魚と話す生活ですか?
いまは、家で妻にずっと話しています。よく、夜遅く帰ってきても話し続けていて、「そろそろ寝たいんですけど・・・」と言われています。「本当におしゃべり好きなのね」って。なので、子どものころから、対象は何であれ、おしゃべりです。そういえば、息子も私に似たのか、かなりおしゃべりです。
