「お母さ~ん」戦友の声が耳の奥に残る

先祖の千利休は、茶の湯の師範代として織田信長の合戦についていった。陣中で戦う連中にお茶を飲まさなければいけない、陣中のお茶会も全部やったんだ。うちの父がそれをうまく縮小して陣中茶箱というものをつくった。私は海軍の時それを一式持って行った。陸軍はダメだったけど、海軍は非常にスマートだった。楽器を持っていった大学生もいた。海軍は船の生活が主ですからそりゃ音楽もお茶も必要、軍人として悪いことはない。
そういうことで、私が陣中茶箱を持って行ったのを知って、訓練が終わると「千さん、お茶にしてくれや」とみんなが集まってくる。配給の羊羹とやかんをもって、私がお茶をたてて、みんな茶飲んで、「千ちゃんうまいなあ、おふくろ思い出すわ」と。
当時の我々は男女の仲はおふくろだけですよ。今みたいに自由奔放じゃない。そんなことしていたら、学生といえどもみなやられますよ。だからおふくろが恋人だった。「おかあさーん」とみなが叫んだ声が私の耳の奥に残っていますよ。おふくろに会いたいなあと、みんな涙流した、おふくろのことを思って。本当ですよ。