のちの水戸黄門 戦友の西村晃さんも涙で「お母さ~ん」

私と仲が良く、生き残って俳優の水戸黄門になった西村晃は日大出身だが、やつはほんとうに涙ボロボロ流して「お母さん~」と言っていた。ハタオヨシカゲという京都大学の法学部で福岡県の出身ですけどね、ええ男だった、これが私の近くに下宿していた。「千やん、私な、頼みがあるねん。私生きて帰ったらな、お前のとこの茶室で茶を飲ましてくれや。」
わたしそのとき初めて「あっ」と、ものすごいショックを受けた。今まで死ぬの当然やと思っていた。ハタオの「生きて帰ったらな、お前のとこの茶室で茶のましてくれや」と、いまだに声聞こえますよ。彼の「生きて帰ったら」の一言が。帰れない。250キロの爆弾を抜いて、そして突っ込んでいくんですから。お茶会はいつも10人くらいで、常連がハタオやら西村やら、立教出身のミズノとかね、関西学院のオノとかいましたね。
1人だけオオイシ、オオイシマサノリというのが特攻に出る前にどういうものか、お母さんが佐伯の基地におったらしい。探して探してそこにきて、オオイシマサノリに会ったんですよ。14期で法政ですよ。お母さんが九州で、オオイシを探し求めて、出撃の前に会えたの。もうそれを後で聞いてね。「良かったなあ」と思った。もうほんとうにつらいこともいっぱいあった。