「憧れの報徳学園」で甲子園目指した中高時代
出身は兵庫県宝塚市。「憧れていた報徳学園で甲子園に出場するため」、中学は報徳学園に進学した。報徳学園中時代は軟式野球部でプレーしていた田村だが、本人曰く「2番手のサードか、3番手ピッチャー」で、レギュラーを掴むことはできず、中学で野球をやめようかとも思っていた。
しかし報徳学園高で野球を続けることを決意すると、レベルが高い選手が集まる中、地道な努力を続け、2年秋にベンチ入り。3年夏は背番号11をつけ、準々決勝の東播磨戦では1失点完投勝利を収めた。
夢だった甲子園出場は果たせなかったが、一時野球をやめようかなと思っていた少年は、高3時には最速143キロをマークし、チームにとって欠かせない右腕に成長していた。