◆面会者が金網越しに手紙を読み上げ

松雄の生家の人々 最後列左から2番目 学生服の松雄

記録によれば、松雄がスガモプリズンに入所したのは、1947年7月2日。このころ、3度目の冬を迎えていた。(※手紙の中では松雄は「松夫」と表記)

<藤中松雄が兄に宛てた手紙 1949年12月26日付>
拝啓 今年もいよいよ(あと)六日になりました。十二月も峠を越せば、寒気するどく身にしみ込んで来ます。こちらは二十一日、早くも降雪を見ました。昨年より早く、冬は訪れて来る様です。
兄さん、はがき有難う。十二月三日発信、二十一日読みました。一同様もお元気な様子、何よりと喜んでおります。この日ちょうど、湯川先生が面会に来て下さりました。そして家から出した手紙も金網越しに読んで下さいました。お礼の手紙、又お願い致します。家から出された手紙、聴きつつ、親、兄弟、弟、妻らの何から何まで心配して下さる有難さに松夫は合掌し、ご恩がいかに深きかを、心ゆくまで味あわせて頂きました。
シナエさんも来月六日、家族の一員に加わって下さるとの事、不幸、松夫は祝宴の列につらなることは出来ませんが、巣鴨より幸(さち)あれかしと絶大なる祝賀をお送りし、円満なるホームをきずかれん事をお祈りいたします。
兄さん、書きたい事は山ほどある様な気がしますが何から書いてよいやらまとまりませんので、今日の日記に書きました事を再びここに書きましょう。

◆吾々は如何に生きるべきか

スガモプリズン

松雄は自分の日記に書いたことを、兄への手紙に写した。

<藤中松雄が兄への手紙に写した日記 1949年12月26日付>
12月26日 ◎吾々は如何に生きるべきか
如何に生きたならば「真の幸福は」吾々の頭上に現れるのであろうか。「意義ある人生を」苦の中にも真の喜びを味わいつつ、ああ、私は幸福者だったと生涯を振り返って見た時、おもわざるだろうか。ただ、単に生きるだけなら万物の霊長と自称する吾々人間に限らず、生ある動物の世界、ことごとく生きんとする要求は、生あるものの総てが持つ通有性であり、動物のみか、植物の類にも光りに向かって伸び、よりよく生きんとするのは、おなじ生きんとする本能からである。
生ある植物に至るまで、なお生きんとする要求があるのは、当然すぎる程、当然であり、吾々人間と何ら異なることはないのであるが、同じ生きんとするこれら動物、植物、万物の霊長だと自称している人間の価値は、いったい何処にあるのであろうか。それは生の実現、すなわち、生きんとする衷心の要求、如何に意義ある人生を生きるかについて、考え、努め、真実に生きる道を見つけるからである。