中国残留孤児の体験~家族と生き別れ、養父母との生活と苦労

男性から聴いた話を伝える今村幸一さん
「前に行ったり、後ろに行ったりしながら、おとうさん、おかあさんと何度も呼びながら探しました。なぜ避難するのか。その訳もわからないままに、混乱する見知らぬ土地で、たった1人になってしまいました」。

中国で暮らしていた頃の男性について語る今村さん

男性は中国人家庭に引き取られました。
様々な苦労をしながら仕事の技術を身につけ、安定した収入も得て、現地で家庭を築きました。
自分の名前だけは覚えていて、30年たって、日本にいる母親と連絡が取れました。
父親やきょうだいは避難中に亡くなっていました。

帰国した中国残留孤児の体験~日本語ができず、不安定な生活

男性はその3年後、41歳で自分の家族を連れて、帰国しましたが、十分な日本語教育を受けられなかったそうです。

男性から聴いた話を伝える今村幸一さん
「やっと帰国した祖国日本でしたが、日本語がわからなくて大変苦労しました。そのせいで仕事も転々としました。フォークリフト運転の仕事を1週間で辞めたこともありました。プラスチック工場に勤めたときは言葉がわからないことを理由に、ずいぶんといじめられました」。

ずっと働きづくめで、言葉を学ぶ余裕もなく、今村さんは通訳を介して、話を聞きとりました。