◆要は信仰に徹するほかはなく

松雄の葬式での写真 中央が妻ミツコ

面会がかなわない松雄が、死刑囚として心の平静を保つためにとった方法は、信仰に徹することだった。

<藤中松雄が妻ミツコに宛てた手紙 1949年10月25日付>
便りの模様では、母さんから面会の話しを聞いて相当悲観している様に見受けられるが、決してそれには及ばん、と云っても、どうする術とてなかろうが、要は信仰に徹するほかはなく、未来永劫守り、お護り下さる慈悲の親様、如来本願にお参りして、心から信じさせて戴くことによってのみ、いかなる死線をも突破できるものと固く信じております。死線を越えたそこには、死もなく生もなく一切は空であり、あらゆる迷いから脱出し、澄みわたりたる秋空のごとく、すがすがしい清らかな生活が、自ら展開されるのではなかろうか。主なき君の今後における生活は、総て労苦の二字につきるのであろうが、その労苦によって流す汗と涙の一滴一滴は、これ皆、いとしい孝一、孝幸の心の魂となるのです。


松雄は、ミツコの苦労を慰めつつ、その苦労が長男の孝一、次男の孝幸の成長となり、そこに喜びがあるとして、ミツコを励ましている。

◆寂しさと悲しさで落ちる涙の中に真実の喜びが宿っている

松雄の息子 長男孝一と次男孝幸

<藤中松雄が妻ミツコに宛てた手紙 1949年10月25日付>
日々、己が流す汗と涙の結晶によって、伸び行く吾子の姿を眺める時、いい知れぬ喜びを味わい、貧苦の中にも明日へ生きる、真の希望はおさえようもなく、必ず燃えたぎって来るものと思います。

便りに、「夜遅くまで、時には二時、三時頃まで寝付かずに無心に眠る可愛い二人、子の顔をずっと見守り、そっと頬をなぜて不幸な親子の運命を悲しみ、夜明けまで時の刻みゆくのも知らず」云々とあったが、全く云う言葉なく、その時の情景をまぶたに描き、君や子を胸の中にいだきかかえています。寂しさと悲しさに耐えかねて溢れ落ちる涙の中に、あるいは苦しみの労働によって流す汗の中にこそ、真実の喜びが宿っている事を見逃してはなりません。

自分(ミツコ)が流す涙と汗によって愛しい我子は成長して行くのであるが、その流す涙と汗は人生の喜びと、よりよき希望に生きんとする吾々に、尊い御佛から賜る資本である事に気付かせていただくと共に、心から御佛に報恩感謝の念佛を捧げねばなりません。
南無阿彌陀佛 南無阿弥陀仏