◆相当心配されている様子だが、それには及ばず

<藤中松雄が妻ミツコに宛てた手紙 1949年10月25日付>
小生の事についてあれこれと相当心配されている様子であるが、決してそれには及びません。ぢ病に関してもそれを思う一心から、細々と案じられているが、日々薬を貰ってつけております。結果は以前と大差ありませんが、幸い痛さを全く感じないので、日常困る様な事はなく、念佛の明け暮れに日々の精進を続けています。丁度先週、便り書く時、風邪気味で思うことも書けず、したがって一通しか書かなかったが、お陰様で快復し、この通り元気で書いております。故、どうか御安心なさる様。
このころ、スガモプリズンの手紙の発信は、1週間に2通と制限されていた。体調をくずした松雄は、その週は1通しか書けなかったということだ。
◆一回でも逢う事の出来たのを心から喜び

松雄の次男・孝幸さんは、この手紙が書かれた頃はまだ2歳だった。孝幸さんに父の記憶はないが、母から「あなたをおぶって面会に行った」という話を聞いていた。福岡から東京まで幼子を連れて面会に行くのは、相当大変だったと思われるが、この手紙の様子だと、この時点で妻との面会は1回しか実現していないようだ。
<藤中松雄が妻ミツコに宛てた手紙 1949年10月25日付>
面会の件について「私も行きたいのは山々でしたが」とあったが、逢いたいその気持ちは自分も全く同様であるが、春の便りの通り、何といっても遠く、まして老いたる父の一人働きを思うと、逢いたい気持ちより、この身のために苦労なさる父や母に対して、胸の底から、「ああ済みません」と思う魂が高く高く、頭をもたげて来ます。それもあるが、まだまだ私共より不幸な人のある事を思えば、一回でも逢う事の出来たのを心から喜び、父母上様に深く感謝しなければなりません。