旧日本軍が隠蔽 精神疾患の兵士

上智大学・中村江里准教授

「日本の軍隊は天皇の軍隊で世界最強だから、『心に傷を負った兵士はいない』と、存在そのものを隠蔽していた」。戦争とトラウマの専門家、上智大学・中村江里准教授はこう指摘する。
一方で、軍部は精神疾患にかかった兵士の研究を、千葉県市川市にあった国府台陸軍病院で秘密裏に行っていた。

提供:北海道大学精神医学教室

また、千葉県・東金市の浅井病院の倉庫には、国府台陸軍病院の精神疾患の兵士約8000人の病床日誌=カルテのコピーが残されている。

国府台陸軍病院の病床日誌

多くの兵士が戦地での加害行為から罪の意識にさいなまれ精神に異常をきたしていたことが分かる。中国大陸に出征した兵士のカルテにはこんな記述があった。

『良民六名を殺したることあり、之が夢に出てうなされてならぬ』
『特に幼児をも一緒に殺せしことは自分にも同じ様な子供があったので余計嫌な気がした』

浅井病院 長沼吉宣さん

浅井病院の長沼吉宣さんによると、カルテは終戦後に焼却処分されるはずだったが、将校たちが忍びないとドラム缶に入れて埋めて隠したのだという。

終戦時、海外には約330万人の軍人や軍属がいたが、中には、戦後に重度のアルコール依存になったり、自殺未遂を繰り返したりする人もいた。
そのため、中村准教授は、記録に残されたのは一部だったのではないかと指摘する。
また、心の傷を「恥」とみる雰囲気も、長年、当事者や家族が声をあげにくい状況を作ってきたという。