父の死にバンザイ しかし、トラウマは連鎖

次第に、父はまったく働かなくなり、両親は離婚。父と離れて暮らすようになります。

そして、9歳の冬、父が死んだことを母から聞かされました。兄と2人で喜び合い何度もバンザイしました。

その後、父のことは忘れることにしました。

20歳になって、親戚との雑談の中で、父は自殺だったとはじめて知ってショックでした。自分に責任があるようにも思えましたし、死んだことを喜んだことへの自責の念にもかられました。そして、自暴自棄に・・・ちょっとした嫌なことでも、「もう死んだ方が楽だ」と思ってしまい、リストカットをするようになりました。

フラッシュバックも起きるようになりました。駅や商店街で暑さ対策用のミストが世に出始めた頃のこと。街中でとつぜん聞こえた「シー」というミストの音で、あの「心中ごっこ」の光景がよみがえってきたのです。プロパンガスの音だ!と恐怖にかられパニックに陥りました。

21歳で結婚、出産しましたが、当時の夫からのDVや娘の育て方への悩みなどから、気づいたらキッチンドランカーになっていました。父のようにはなるまいと思っていたのに。ある時は、娘を突き飛ばしてしまうこともありました。「父と同じようなことをしている」と愕然とし、変わろうと決心するきっかけになりました。

語り始めた元日本兵の家族たち・・・変わる父への思い

藤岡美千代さん(66)

藤岡さんは長年、口を閉ざしてきた。しかし、2023年から公の場で自身の経験を話すようになった。きっかけは「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との出会いだった。そこには、藤岡さんと同じように日本兵だった父親との経験でトラウマを抱えた人たちがいた。

第一回千葉証言集会 2024年12月

つらい経験をしてきた人たちの話を聞く中で、藤岡さんは「父もPTSDに苦しんでいたのではないか」と思うようになった。そして、忘れようとしてきた父親のことを「理解したい」と気持ちが変わっていった。

藤岡さんが厚生労働省から父親の軍歴を取り寄せると、父親がソ連の捕虜となり、シベリアに3年間抑留されていた記録とカルテが見つかった。

睡眠が不十分、頭痛が続くなどの記述があったが、「よく生きてきたな」と思った。必死に生きてきた当時の様子を知るにつれ、はじめて親子らしい情愛のようなものを感じるようになったという。