「起立!」酒に酔った元日本兵の父が、兄と私を壁際に立たせる。「これから皆で死のう」そう言って、プロパンガスの栓を開くと「シー」という音と共にガスが出てくる。藤岡美千代さん(66)が5歳ぐらいの時の記憶だ。
この「心中ごっこ」が日常的に繰り返されるなど、藤岡さんにとって父親は恐怖の対象でしかなかった。
戦争が人の心を壊すのは今では広く知られているが、日本では長年、本人も家族も問題を直視できずにいた。旧日本軍の極秘資料と兵士の家族の証言からその実態が浮かび上がる。
以前の父親は「優しい人」 今は写真も直視できず

藤岡さんはいまだに父親の写真を直視できない。家にある写真はハンカチで包まれたままだ。父親は20歳で海軍に入り、千島列島の松輪島の航空基地に配属された。そこで、度重なる艦砲射撃にさらされるも生き延び終戦。その後、3年間のシベリア抑留を経て日本に戻った。親戚によると戦地に行く前は「おとなしくて優しい人だった」というが、日本に戻ってからは「人が変わった」という。藤岡さんが父親との壮絶な日々を振り返ってくれたー
父親との壮絶な生活 藤岡美千代さん(66)
私が5歳くらいの時、父はよく夕飯の時に酒に酔ってちゃぶ台をひっくり返して暴れました。その度に私は兄に連れられ外へ飛び出しました。父が寝たのを見計らって家に戻り、床に散らばったおかずやご飯をかき集めて食べました。父が起きるのではないかとビクビクしながら…そんな父でも、当時はトラック運転手の仕事をしていました。
私が7歳ぐらいになると新しい家に引っ越していましたが、父の酒の量はさらに増えていきます。夜になると突然、布団をはぎ、踏みつけたり、柱やふすまに向かって兄と私を放り投げたりしました。いつしか新しい家のふすまや壁はボロボロになりました。私は毎日、寝不足でした。
父の幻覚、幻聴もひどくなっていきます。 「あいつが殺しに来る!」雨が降ると、父は部屋の隅でそう叫びながら、震えて泣いていました。台風やあられで窓ガラスがガタガタと鳴っても「兵隊の足音が聞こえる!」と叫んで怯えていました。その姿を見るのが怖かったです。
私が8歳の頃、泥酔した父が刀で切りつけようとしてきた事がありました。娘ではない何かに向かって刀を振り上げたようでしたが、近所のおじさんが「あんたの子どもだ!自分の子どもに何をする!」と止めてくれました。
父から性虐待を受けたこともあります。太ももに唾をつけられ何かを押し当てられました。それがどんな意味を持つのか、当時は理解していませんでしたが、気持ち悪さは覚えています。父が上に乗っかっているのを母が目撃して、親戚の間で問題になりました。