「作品を“繋げていく中の1人”になれたことをありがたく思います」
1945年8月6日。当時東京に住んでいた丸木夫妻は原爆投下を知って広島に入り、救援活動を手伝いました。そして5年後の1950年から30年以上かけ、原爆の惨状を描く全15作「原爆の図」を描き上げたのです。
今回修復されたのは1950年に描かれた2作目の「第2部 火」。屏風の歪みや汚れが目立ち、2年前から愛知県立芸術大学で修復作業が行われていました。

そして無事修復が終了し、きょう、絵を所蔵する埼玉県東松山市の丸木美術館に向けて送り出されました。あさって6月13日(金)午後に、到着次第開梱され再展示される予定で、来館者はその作業の様子も見ることができます。
(修復を担当した磯谷明子さん)
「大事にされてきたこの作品を“繋げていく中の1人”になれたことをありがたく思います」
丸木美術館によりますと「原爆の図 第2部 火」の展示は、2023年7月以来約1年11か月
