兵庫県豊岡市の城崎温泉。川沿いの“柳の木”で有名な温泉街ですが、今から100年前、「北但馬地震」によって多くの建物が倒壊し、街は火災に襲われました。地震後、温泉施設や駅を鉄筋コンクリートで再建するなど復興が進められ、街並みは一変。その痕跡の一端は今も垣間見えます。

1925年に発生「北但馬地震」 ほとんどの外湯が燃える

 城崎温泉は、約1300年前の奈良時代、旅の僧侶が病に苦しむ人々を救うために開いたと伝わる歴史ある温泉街です。

 (観光客)
 「(志賀直哉の小説)『城の崎にて』を学生時代に読んで、来てみたいなと。柳の感じがすごくいい」
 「旅館のある並木道を歩いて、20年ぶりに来たけれど、変わっていないなと思いました」

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 温泉と風情ある街並みは世界中から愛されていますが、今から100年前、大きな危機に直面しました。「北但馬地震」です。1925年5月23日、兵庫県北部を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生。当時の最大階級だった震度6を豊岡で観測し、兵庫県内で421人が亡くなりました。当時も旅館が立ち並ぶ人気の温泉地だった城崎も強い揺れが襲い、多くの建物が倒壊。火災で街は焼き尽くされました。地元では“北但大震災”とも呼ばれています。

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 被災直後に撮影された映像が残されていました。映っているのは、城崎の温泉街を流れる大谿川の周辺です。地震が起こったのが昼前だったことから、調理中のかまどの火が燃え移って大規模な火災が発生。大勢が犠牲になりました。有名な外湯もほとんどが燃えてしまいました。地震の翌年、兵庫県がまとめた資料には、地震の直後、温泉街を襲った火災の様子が克明に記録されています。

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 【兵庫県の資料より】
 『発震の際は恰(あたか)も浴客(よっきゃく)の多数が入浴する時刻とて六箇所の浴場は皆大混乱』
 『殆(ほと)んど倒潰(とうかい)の運命に遭逢(そうほう)したるが故に浴客の焼死したるもの甚だ多し』