20年前の4月25日。兵庫県尼崎市で、JR福知山線がスピードを出しすぎ、カーブを曲がりきれず脱線。マンションに激突し、運転士と乗客106人が命を落としました。

事故後、心の傷から自ら命を絶った人たちがいることは、あまり知られていません。

死者107人には含まれない“知られざる犠牲者”と、その遺族の悲しみを取材しました。
(「news23」2025年4月25日の放送より)

107人死亡 JR脱線事故から20年

事故発生時刻に合わせ、多くの人が祈りを捧げました。未曽有の大事故から20年。

2005年4月25日、JR福知山線の快速電車が制限速度を大幅に超えるスピードでカーブに進入し、脱線。乗客106人と運転士が死亡する大惨事となりました。

手前の駅でオーバーランを起こしていた運転士が、ペナルティを避けようと運転から注意がそれていたことが事故の原因とされ、JR西日本の懲罰的な企業風土も厳しく批判されました。

事故で犠牲になった小杉繁さん(当時57)と靖子さん(当時59)は1両目に乗っていました。告別式では息子の謙太郎さん(当時21)が喪主を務めました。

小杉謙太郎さん(当時21)
「父親が母親を上から守るように覆いかぶさって両親が見つかったと聞いて、父親が最期に夫として妻を守りきった」

謙太郎さんは今、2人の男の子の父親です。元気な孫たちの姿を両親に見せたかったという思いがつのります。

小杉謙太郎さん(4月25日)
「母は溺愛すると思うんですけど、父がどういう反応するのか全く想像がつかないので、そこは見てみたかった。最初の頃、数年は事故の苦しみやしんどい部分が結構あったが、それ以降は前に向けて歩けていたなと」