予算協議で維新と国民を「両天秤」に?

年が明けて、石破内閣は150日間の通常国会を迎えた。次の大きな関門は25年度予算案を通すことだ。そのために与党は、どこかの野党と協議、修正をし賛同を得なければいけない。

選択肢は2つ。「手取りを増やす」をスローガンに掲げ、衆院選で躍進した国民民主党を取り込むか、それとも「高校授業料の無償化」を掲げた日本維新の会を取り込むかだ。2党との協議は並行して行われたが、結果的にどちらも非常に難航した。共通していた課題は「財源」だった。

衆院選で「103万円の壁」引き上げを訴え躍進した国民民主党

まず国民民主党とは「年収103万円の壁」をどこまで引き上げるかが議論になった。国民民主党はこの30年の最低賃金の上昇率にあわせ178万円まで引き上げることを主張したが、一律に引き上げた場合、国と地方の税収あわせて8兆円近く減ると試算された。

一方、「高校授業料の無償化」を主張する維新との協議では、無償化により6000億円の財源が必要だとされた。

しかも維新側の要求は、公立高校だけではなく私立高校も年収制限をなくした無償化を実現するものだった。そのため課題は財源だけにとどまらず、とくに都市部では私立高校の受験者数が増え、受験戦争が過熱する可能性があること、一方で公立高校は空洞化が進む恐れなど「弊害」も指摘された。

与党側の実務者の責任者は「弊害があることはわかっていたが、予算を成立させるためには飲まなくてはいけなかった。忸怩たる思いだった」と後日、私にその時の思いを語っている。

さらに維新は「高校授業料無償化」の協議の途中から「社会保険料の引き下げ」を交渉のテーブルに突然“追加”した。冒頭に登場する与党側の実務者のひとりが「ヤマタノオロチと戦っているようだった」と表現したのは、この時の状況のことを指している。

当時、この維新と国民民主との実務者協議をめぐっては「自民党が、維新と国民民主を両天秤にかけている」とか「財源は維新のほう(高校無償化)が10分の1だから、こちらのほうがお得だ」といったような声が永田町ではよく聞かれた。

しかし交渉にのぞむ実務者たちの思いは違っていた。予算を成立させるために「維新も国民も。できれば立憲も」と必死だった。

財源論だけ見れば、確かに維新の要望を聞いたほうが“安上がり”だった。しかし、しばらく続く少数与党の状況を考慮すれば、予算成立だけがゴールではなく、「企業・団体献金」の扱い、選択的夫婦別姓など、今後与野党対立が見込まれる難しい政治課題に対応するためには、いま国民民主を切り捨てるわけにはいかなかった。

「財源は与党が考えるべき」か?問われる「責任野党」の自覚

結果的に今回の協議で、国民民主党とは決裂、維新と合意し、25年度予算は成立した。「年収103万円の壁」引き上げをめぐる国民民主との協議をめぐり、与党側は財源と高所得者優遇とならないことを考慮し、年収別に基礎控除を上乗せする案を提示したが、国民民主は一律での引き上げを主張し、決裂した。

一方の維新とは、今年度から公立高校は一律に授業料を無償化、来年4月から私立高校は所得制限をなくし、上限額を45万7000円に引き上げることで合意した。これにより当初より財源は4000億円程度に圧縮されることとなったが、その財源をどこから持ってくるかや教育の質の確保などの課題は先送りされている。

「年収の壁」の見直しも「高校授業料無償化」も、このフレーズだけ聞けば必要な施策だと多くの人が感じるのではないだろうか。

ただそれを実現するための「財源」はどうするのか。その視点が維新も国民民主も欠けていたように思う。本来であれば、政策を提案する野党側も財源とセットで議論を進めるべきだと思うが、交渉の過程で国民民主の古川元久税調会長(代表代行)が「必要な財源は政府・与党が考えるべきだ」とテレビ番組で発言した。財源論を与党側に“丸投げ”するような発言だった。

3党協議打ち切り後会見する国民民主・古川代表代行 2月26日

交渉が難航したもうひとつの理由は、施策の効果に対してその「弊害」も見過ごせなかったからだ。

高校の授業料無償化は教育の機会均等に繋がっても質を高める効果があるのか。むしろ公立高校の空洞化などを助長する恐れがある。与党側も予算案の賛成を取り付けるため時間的な制約があり、その弊害部分の議論は不十分なまま維新と合意してしまった。

「時間がなかった」と与党の実務者は悔やむが、将来に禍根を残しはしないか。今年の「骨太の方針」の策定までに、教育の質を担保する精緻な制度設計が求められる。

効果に懐疑的なことはわかっていても、野党の要求を飲まないといけないー。
これが少数与党の今の現実だ。であるならば、与党は少数与党としてより謙虚さをもつ必要があるのは当然のこと、一方の野党も「責任野党」としての自覚をもつ必要がある。これまでは成立し得なかった野党の政策が実現する状況になったからだ。

ある自民党幹部は少数与党となることが決まった去年の衆院選の直後「これからはポピュリズムとの戦いになる」と感じたという。これからは国民受けするポピュリズム的な政策が野党側から次々と要求されるのでないか。その予言は現実のものになろうとしている。

“国民受け”を意識し、効果検証が不十分で財源を考慮しない政策ばかりが並べば、そのしわ寄せは次世代へと、つけが回るのではないか。政策を要求する野党側の自覚がより求められている。