石破総理率いる自民・公明の与党が衆院総選挙で破れ、少数与党に転落してから半年が経とうとしている。日本の政治史の中で実に30年ぶりに現れた政治状況。ベテランながら初めて目の当たりにしたTBSテレビ政治部の室井祐作デスクがその功罪などについて考察する。
“少数与党”議員が漏らした嘆きのひと言
2025年2月25日午後6時半。自民・公明と日本維新の会、3党による党首会談が行われ、高校の授業料無償化などで合意した(冒頭の写真)。衆議院の議席数が過半数に満たない“少数与党”が、維新と手を組んだことで事実上、25年度予算案の成立が確実になった瞬間だった。
私はこの日の夜、維新と2か月にわたり交渉し、この党首会談にも同席した与党側の実務者の1人と会った。
党首会談が終わりわずか数十分後のこと。憔悴しきっていたが、どこか晴れやかな様子で開口一番、「ようやく終わった。ほんとうに長かった」と話し始めた。この2か月間、“少数与党”側の実務者たちはどんな思いで交渉にのぞんできたのか。
「なんだかヤマタノオロチと戦っているようだったよ」
8つの頭を持つ伝説上の生き物に例え、今回の交渉を表現した。色んな人が色んな要求をする、決まったと思ったら覆る、維新の対応を例えたものだ。
さらにこう続けた。
「予算成立は自分たちの手にかかっていた。かなりのプレッシャーだった。こんなに大変だったとはね」
私は“少数与党”の悲哀を目の当たりにした。
「熟議の国会」への変化を歓迎
去年10月に発足した第1次石破内閣は、発足直後の10月27日投開票の衆院選で30年ぶりの少数与党となった。衆議院の議席数が与党で過半数に達しないため、どこかの野党と協議、修正をしながら進めなければ予算案などの法案が成立しない。

いまのTBS政治部に“少数与党”時代を経験した現役記者はいない。どう国会が進んでいくのか、取材の手法がどう変わるのか、みな手探りの状態での船出だった。
私は民主党から政権を奪還した第2次安倍内閣以降の政治を取材してきた。長く続いた「安倍官邸1強」そして「野党の多弱」の状態に正直、うんざりしていた。
政府が法案提出前に与党内で「事前審査」を行い、そこで了承された法案は与党の「数の力」でそのまま成立してしまう。こうした事実上形骸化した国会は、とくに野党記者時代、野党の無力さを感じながら取材していた。
地上派の放送では野党が打ち出す政策、野党提出の法案はほとんど扱われなかった。巨大与党の前ではそれが成立する見込みはなく、審議すらされることもなかったからだ。その結果、視聴者には「野党は批判ばかり」との印象を植え付けたかもしれない。
ところが、少数与党の政治状況となったことで、これまでの「野党=批判」と映った状況から一変する。
与野党が協議をして法案を修正していくプロセスとなるため、野党の主張も盛り込まれるし、これまで形骸化していた国会は「熟議の国会」へと変化していくに違いないー。私はこの変化を歓迎した。野党クラブも記者の人数を“倍増”し、野党取材を厚くした。
事実、少数与党として初めて臨んだ去年の臨時国会では、様々な変化があった。
自民党の派閥の裏金事件を発端とする政治資金規正法の改正の審議で、長らく自民党が維持してきた「政策活動費」が廃止になり、歳費法の改正の審議では、不透明だと指摘されながらも何度も結論が先送りとなっていた“旧文通費”、現在の調査研究広報滞在費の使途公開、残金返還が実現した。自民党が後ろ向きだった法改正が次々と進んだ。
そしていま、30年来の宿題と言われた「企業・団体献金」の扱いが国会で焦点となっている。政府の経済対策の裏付けとなる24年度補正予算案も立憲民主党からの要望を取り込み、28年ぶりに修正され、成立した。
私は初めての体験となった少数与党の臨時国会を見て「少数与党は悪くない」と思った。でも今はちょっと違う。