3月30日、福岡市中央区のキノシネマ天神で開催中のTBSドキュメンタリー映画祭で、RKB製作の「巣鴨日記 あるBC級戦犯の生涯」が上映された。

上映後、映画の主人公で4人の米兵を殺害しBC級戦犯に問われた冬至堅太郎の三男、冬至克也さん(71)が登壇し、父が話していた戦争の理不尽さと、平和への思いを語った。

空襲の翌日、B29搭乗員4人を処刑

映画「巣鴨日記」主人公の冬至堅太郎

終戦の年、福岡市に置かれていた西部軍の主計中尉だった冬至堅太郎は、福岡大空襲で母を亡くし、その翌日に司令部で行われていたB29搭乗員の処刑に自ら志願して加わった。

軍刀を借りて最初のひとりを斬首したあと、命令によってさらに3人を斬り、あわせて4人を殺害した。

映画は、堅太郎がBC級戦犯としてスガモプリズンに囚われた1946年8月から6年分の日記を軸に、堅太郎の生涯を描いている。堅太郎はアジア太平洋で処刑された戦犯700人分の遺書をまとめた「世紀の遺書」(1953年)を編纂した中心人物だった。

平和条約発効後、父が収監中に生まれた

舞台挨拶をする冬至克也さん(3月30日・キノシネマ天神)

冬至堅太郎の三男 冬至克也さん(71)
「私は1954年の生まれで、父が仮出所したのは56年ですので、出所の前に生まれているんです。スガモプリズンもサンフランシスコ平和条約でアメリカから日本に管理が移されてから緩やかになったみたいで、『世紀の遺書』の編纂のために色んなところに出かけていったり、割と自由にしていたみたいです。それで九州にも帰ってきていたようで、その時に私が生まれて。それでも収監はされていたので、私が2、3歳になってからしか、私の写真に父は写っていないんです」

苦労を口にしなかった母

冬至堅太郎と妻・安余 次男の眞也さん

堅太郎の妻、安余(やすよ)は、東京・豊島区にあったスガモプリズンまで幼い息子(次男)を連れて面会に通い、堅太郎が死刑の判決を受けた後は助命嘆願のために署名集めに奔走した。家業の文具店も切り盛りしていたが、克也さんは苦労話を聞いたことはないと言う。

冬至克也さん
「母は、苦労話を一切しませんでした。おそらく苦労したとは思いますけど、やはりあの時代ですから、母あるいは父だけではなくて国民全員がなんらかの形で苦労しているんですよね。中には故郷に帰ってこない人もいるし、戦争未亡人で大変苦労して子供たちを育てた人もいらっしゃると思います。戦争を経験した人たちっていうのは強いですよね。私も小さいころはやんちゃでしたが、母は動じなかったですね。淡々と対応していました」