豊橋市内でも震度7クラスの揺れ
(佐藤アナ)
「吉田城から600メートルほど離れた龍拈寺(りゅうねんじ)に来ました。慰霊碑や石碑などがずらっと並んでいますね」
(羽田野特任助教)
「一番最近起きた、南海トラフ巨大地震の一つ1944年の昭和東南海地震で亡くなられた豊橋市の女学生27名を悼む観音像となっております」


発生から約80年が経った、1944年の「昭和東南海地震」。
三重県南部で津波による大きな被害が出たほか、豊橋市内でも震度7クラスの揺れがあったと考えられ、愛知県内では三河地方を中心に、6411棟の住宅家屋の全壊などの被害があり、438名が亡くなりました。


この観音像は、この時犠牲になった女学生27人を追悼するために建てられました。豊橋市がかつて、南海トラフ巨大地震で被害を受けたことを今に伝える場所はほかにも。
龍拈寺から車で移動すること40分。やって来たのは、太平洋を望む伊古部(いこべ)海岸。