防潮堤に頼らない 「住民主導」で復興を遂げた町

次に重政さんが向かったのは、釜石市・根浜。高い防潮堤を造らない選択をした地区だ。

14年前、最大18mの津波がこの地区を襲い、10人以上が犠牲となった。しかし、砂浜のある観光地として栄えてきたため、町内会で話し合った結果、防潮堤に頼らない町づくりをすると決めた。

重政さんの関心は、住民たちの意見をどのように復興のまちづくりに反映させたのか、ということだ。

根浜町内会事務局長 佐々木雄治さん
「高い防潮堤を造らないと危ないのではという声もいっぱいあります。だけど高い防潮堤を造ったって、それで守れるわけないんだから、やっぱり逃げることが大事。それと海が見えるというのが大事。震災の翌年に、文書で根浜の復興についてはこうやって欲しいと(行政に)要望している。本計画が決まる前に自分たちの考えを出している。だから能登は、まさに今その時期」

重政さん
「珠洲市の場合は比較的、今は皆さんの各地域の意見を集めるところからスタートしてて…」

根浜町内会事務局長 佐々木さん
「一番大事なのはスピード感。行政だって計画を検討しているわけだから。それからもう一つのポイントは、個人の意見はだめ。町内会としてまとめなきゃだめ」

生活再建の足がかりとなる災害公営住宅についても、住民たちの意見をまとめ、行政側に戸数や配置などを要望したという。

重政さんがこの地区で出会ったのが、旅館「宝来館」を切り盛りしていた元女将・岩崎昭子さん。

あの日、津波にさらわれたが九死に一生を得た。当時、多くの人たちに助けられたが、特に印象に残っているのが阪神・淡路大震災の被災者からの支援だった。

「宝来館」元女将 岩崎昭子さん
「私たちは阪神の皆さんに伴走してもらったという意識があって、今、自分たちがその立場になって、ようやく皆さんがどんな気持ちで自分たちを訪ねてきたかわかるんです。役に立ってほしいんです。自分たちが『じゃあ恩返しに珠洲に行って何かできますか』と言ったら、何もできなくて。そうだねってお話を聞くことしかできない。でもやっぱり誰かが見ててくれることが、自分たちが頑張っていく力になった。こういう繋がりはあっていいと思います。私たちのところに来てくれて本当に嬉しいです」

行政ではなく、住民主導で復興を遂げた町がいくつもあることを知った重政さん。

重政さん
「できるだけ早くいろんな人の話を聞いて、声をまとめていくことは大事だなと。今やらなきゃいけないことが明確に見つかったかなと思う」

しかし、住民の力だけでは限界もある。東北沿岸と能登、2つの被災地は今、「人口流出」という同じ課題に直面している。